陽都はどこへいっても人気者。
だれにでも満面の笑みをみせてくれて、どんな相手でもイチコロだ。
どっちの両親にもとても可愛がられている。
私達夫婦は陽都の服を買ったことがない。
ほとんど、千葉のばばが買ってくれる。
いっぱいありすぎてもしかしたら、一度も袖を通せないまま小さくなってしまった服もあるかもしれない。
おむつも、ベビーバスもベビーベッドもおもちゃも食器も。
はるとのおしりふきだって一生分を嫁のお兄さんがプレゼントしてくれた。
千葉のじじは陽都にメロメロで、嫁が「私達が小さかったときとは大違い。まさかあのお父さんが」と本当にびっくりしている。
埼玉のじじ、ばばも陽都にメロメロ。
「あんたの時は泣いてばっかでこんなに良い可愛い子がいるなんて信じられない」
と勝手なことを言っている(笑)
メリーゴーランドも贈ってくれたし、離乳食用の名前入りの食器も贈ってくれた。
陽都。
大きくなったら辛いこともあると思う。
自分の存在意義を見失って迷うこともあるかもしれない。
でもどうか、これだけは忘れないで。
貴方がただ存在してくれているだけで、これだけの人間を幸せにしているんだよ。
ただあなたがこの世に存在しているだけで私達は幸せでいっぱいなんだ。
それはこれからもずっと変わらない。
貴方がどこへ行っても、なにになっても、いくつになっても、あなたがどう変わろうと、たとえ汚れようとも変わらない。
どうかそれだけは忘れないで。
さて、最後は今日のタイトルについて。
先日、陽都を連れて埼玉に帰省したときのこと。
泣いている陽都をふたりであやす父と母をみたとき、なにか不思議な感じがした。
その時は深く考えなかった。
帰ってきて翌日ぐらいに嫁がふと
「もし、いまあなたが生まれたら、おとうさんもあんな感じで育児頑張るのかなあ」
と言った。
欠けたままだった最後のピースがすっと、はまったような気がした。
私は父親との関係に失敗しながら育った。
そのことを心理学の自己分析などを使い、客観的に理解し、それはどうしようもないことだし、そこから始めなくてはいけないと再出発したのが18歳ぐらいだったような気がする。
たしか当時も「18年かけて積み上げた自分を変えていくにはおなじぐらいの年数がかかるのだろうな。
ゆっくりやっていこう。
そのころに一つの成果が出ていれば良いとしよう」なんて考えていたのを思い出した。
ふと気がついてみれば、あれからちょうど18年が過ぎていた。
その間、自分の中の”アダルトチルドレン”(「大人の自分の中に今もさみしくて泣いている小さな子供の部分」という概念)を意識しながら、そこから目を離さず向き合えるように考えながら過ごしてきた。
そうやってある程度、創造してきた新しい自分だったが、陽都のおかげで一応の区切りを迎えたような気がする
陽都を囲む、両親の姿は私の中の”アダルトチルドレン”を消化し昇華させる最後の1ピースになったようだ。
私は頭だけでなく心で、「当時の両親の苦悩」を認め、許すことができたのだろう。
私が望んでも得られなかったものを陽都が代わりに運んできてくれたような気がする。
陽都はすごいなあ
陽都、ありがとう
だれにでも満面の笑みをみせてくれて、どんな相手でもイチコロだ。
どっちの両親にもとても可愛がられている。
私達夫婦は陽都の服を買ったことがない。
ほとんど、千葉のばばが買ってくれる。
いっぱいありすぎてもしかしたら、一度も袖を通せないまま小さくなってしまった服もあるかもしれない。
おむつも、ベビーバスもベビーベッドもおもちゃも食器も。
はるとのおしりふきだって一生分を嫁のお兄さんがプレゼントしてくれた。
千葉のじじは陽都にメロメロで、嫁が「私達が小さかったときとは大違い。まさかあのお父さんが」と本当にびっくりしている。
埼玉のじじ、ばばも陽都にメロメロ。
「あんたの時は泣いてばっかでこんなに良い可愛い子がいるなんて信じられない」
と勝手なことを言っている(笑)
メリーゴーランドも贈ってくれたし、離乳食用の名前入りの食器も贈ってくれた。
陽都。
大きくなったら辛いこともあると思う。
自分の存在意義を見失って迷うこともあるかもしれない。
でもどうか、これだけは忘れないで。
貴方がただ存在してくれているだけで、これだけの人間を幸せにしているんだよ。
ただあなたがこの世に存在しているだけで私達は幸せでいっぱいなんだ。
それはこれからもずっと変わらない。
貴方がどこへ行っても、なにになっても、いくつになっても、あなたがどう変わろうと、たとえ汚れようとも変わらない。
どうかそれだけは忘れないで。
さて、最後は今日のタイトルについて。
先日、陽都を連れて埼玉に帰省したときのこと。
泣いている陽都をふたりであやす父と母をみたとき、なにか不思議な感じがした。
その時は深く考えなかった。
帰ってきて翌日ぐらいに嫁がふと
「もし、いまあなたが生まれたら、おとうさんもあんな感じで育児頑張るのかなあ」
と言った。
欠けたままだった最後のピースがすっと、はまったような気がした。
私は父親との関係に失敗しながら育った。
そのことを心理学の自己分析などを使い、客観的に理解し、それはどうしようもないことだし、そこから始めなくてはいけないと再出発したのが18歳ぐらいだったような気がする。
たしか当時も「18年かけて積み上げた自分を変えていくにはおなじぐらいの年数がかかるのだろうな。
ゆっくりやっていこう。
そのころに一つの成果が出ていれば良いとしよう」なんて考えていたのを思い出した。
ふと気がついてみれば、あれからちょうど18年が過ぎていた。
その間、自分の中の”アダルトチルドレン”(「大人の自分の中に今もさみしくて泣いている小さな子供の部分」という概念)を意識しながら、そこから目を離さず向き合えるように考えながら過ごしてきた。
そうやってある程度、創造してきた新しい自分だったが、陽都のおかげで一応の区切りを迎えたような気がする
陽都を囲む、両親の姿は私の中の”アダルトチルドレン”を消化し昇華させる最後の1ピースになったようだ。
私は頭だけでなく心で、「当時の両親の苦悩」を認め、許すことができたのだろう。
私が望んでも得られなかったものを陽都が代わりに運んできてくれたような気がする。
陽都はすごいなあ
陽都、ありがとう
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予防接種について検索するとそれを推進するページもたくさん出てくる。
しごく当然のように生後2カ月から同時接種を勧めている。
そこに副作用による死亡事故のことは一切記載がない。フェアではないと思う。
不安を煽る文言が踊り予防接種に駆り立てている。
「毎日、乳児たちと向き合っている小児科医の声を一人でも多くの人に知っていただき、あなたの大切な子供の命を護るために・・・」などの説明が添えられている。
フェアではない一例を。。。
以下、あるページからの転載
>ヒトパピローマウイルス(HPV)
>ワクチン(子宮頸がんなどを予防)
>ヒトパピローマウイルスは主に性行為で感染します。
>ワクチン未接種の人は、将来の子宮頸がん予防のためにぜひ受けましょう。
>日本には2種類のワクチンがあり、9~10歳から接種できます。
転載おわり
あの危険な子宮けいがんワクチンすらあっさり当然のように勧めている。なんのリスクの説明もない。
このページは「副作用が多すぎて危険極まりない」という化けの皮が剥がれる前に作られて、そのまま更新されていないのだろうか?
私が言いたいことはつまり、このような化けの皮はほとんどすべてのワクチンについて剥がされる必要があるということだし、剥がされていないがためにそれを信用して不必要な接種が盛んに行われ、悲劇が繰り返されているということだ。
子宮けいがんワクチンが例外的に有害性が取り上げられているのではない。
たまたま私達に見えるような形で掘り起こされた氷山の一角なのだ。
もしこのようなページを参考に、子宮けいがんワクチンを愛する子供に接種させたとして、その子が重篤な後遺症を負ったとして、その時はじめて、このようなページを責めてみたところでなんの意味があるのだろう?
「書いてあったから、(世論がそれが正しいというから)(Drがそういうから)それが正しいと思った。後遺症の責任を取って子供を元通り、元気な体に戻して欲しい」と言ったところで手遅れだ。
だから、これから子供に予防接種を考えなくてはいけない親は、ぜひ自分で考えてほしい。
世論やワクチン利権に染まっていない文献を調べてほしい。
アマゾン(南米のジャングルのことではなくネット通販のことです)で「予防接種」とでも打ち込めば、それに関連する書籍は死ぬほど出てくる。そこから適当なものを選べばよいだろう。送料無料だし最短翌日に届く。代金引換を選べば決済方法を登録する手間もない。
一般的には中立の意見を聞くべきだというのが妥当と思われるかもしれないが、私はそれでは不十分であると考える。
私達は日々、利権者が操作した世論にどっぷりと漬からされている情報弱者である。
いってみれば、それは捻じ曲げられた極論だ。
ワクチン賛成を左寄り
ワクチン否定を右寄り
と仮に定義すれば、生まれたときより、極左の意見にどっぷり漬からされた我々が、真ん中の意見を聞いたところで左よりの真ん中あたりに落ち着くことしかできないだろう。
極右の意見を聞いて、そこからバランスを取るぐらいがちょうど良いのではないかと思う。
さて今日は私の大胆な仮説を一つ。
「無駄な予防接種をしていない赤ちゃんは人見知りしない」
どういうことかというと世間一般だと「赤ちゃん期の人見知り」というのがあって、それは4~8か月ぐらいが最盛期なのだそうだ。
知らない人に覗きこまれて「ウギャー!」なんて大泣きするようなことがあるらしい。
一般的には情緒形成の発達の一段階で必要なことという研究があるようだが。。。
私は他にも原因があるのではないか?と考えるようになった。
なぜかというと、うちの陽都はもうすぐ8カ月目に入るわけだが、この人見知りがまったくない。
誰と会ってもニコニコして愛想を振りまいている。たまに買い物にでて、見知らぬひとに「あら、かわいい」なんてのぞきこまれてもニコニコ。抱っこされてもニコニコ。他人への恐怖心が全くない。
30~40回も(不必要な)予防接種を受けることになる一般的な赤ちゃんはそのたびに注射針を刺されるということだ。
いきなり、知らない人にチクリと刺されるわけだ。(うちら大人からしたら「チクリ」だが、小さな赤ちゃんにとっては「ブスリ」かも?
この痛みや恐怖心が「赤ちゃん期の人見知り」の大きな原因になっているのではないかと考える。
知らない人=チクリとされるかもしれない
この公式が赤ちゃんの中で成立しているかもしれない
というのはそこまで突拍子もない仮説ではないのだろうか?
一般的に赤ちゃんが人見知りするのは年配の男性相手のほうが多いというようなイメージがあるが、これもDrがその年齢、性別なことが多いということに起因するのかもしれない。
陽都にとって見知らぬ他人とは「自分に危害を与えてくる可能性がある存在」ではなく、「自分のことを可愛がってくれたり、興味深い動きや表情をする面白い存在」なのだろうと思う。
「赤ちゃんの生まれ持った個性、資質による」という考えもあるかもしれないが、私はそれだけだとは思えない。
ちなみに生まれ持った資質ということでいうと、陽都の父(私のことだが)、母(嫁のこと)ともに人見知りです。。。(苦笑)
乳児期には「自分が無条件で世界から受け入れられているという安心感」の形成がとても大事だと言われている。この形成に失敗すると大人になってからも自己肯定感(自己愛)が薄く、辛い社会生活をおくることになる。
それについて、陽都はまだ情緒形成を始めたばかりで、まだ途上であろうが、とりあえずこの段階までは上手く育めているように思え、親として嬉しい。


陽都はぎこちなくだが「ハイハイ」を始めた。
両手をもってあげれば「タッチ」もできる。
11月はもっぱら家づくりの本を読むことに費やした。
しかし12月に入ってからは「生き方」についての本を読んでいる。
特に「仕事」に関しての本。
家を作るのは半年ぐらいはかかるだろう。
その間の生活を支えるための収入が必要。
まずは田舎の格安の家を借りてそこで生活の基盤を作ってから、ちかくに手ごろな土地を見つけて、こつこつと家を作っていくほうが合理的だ
今日のタイトルになっている
「減速して自由に生きる」 高坂 勝 著
トップギアで仕事に突っ走るサラリーマンの生き方に
「シフトダウンして減速して、もうちょっとゆったり生きるっていうのはどう?」
と提案している。
田舎なら都会ほど生活にお金はかからない。
ただみたいな値段で住処や畑が借りられる。
米や野菜、食べ物を自給できる。
だから週5~6日、あくせく仕事をしなくてもいい。
家族と過ごす時間を増やしたり、自分の内面を磨くことに時間を使えるよ
と提案されている。
私の現在の仕事はどうだろうか?
朝の7時ごろに起きて子供と触れ合う時間もそこそこに出社していき、休み時間もないほどに働いて夜の9時過ぎに帰宅して、子供の寝顔をみながら、ご飯を食べて風呂に入り30分も読書するともう寝る時間。
休みの日は少し家事を手伝って、平日できない子供との時間を過ごし、食材の買い出しにでも出て帰ってくればすでに暮れている。自分を見つめなおしたり、豊かな生き方を勉強する時間もない。
そうやって得られる収入は月に30万にも満たず、毎月の出費に多くが消えていく。
こんなことを書けば、きっとお叱りを受けるだろう。
「なにを贅沢を言っているんだ。生きるということはそういうことだろう、甘いもんじゃない」
「もっと身を粉にして働いている人がいる。まだ良いほうだ。」
「仕事にまい進し、社会貢献する。人として当然のことだろう。怠けたいのか?」
「家庭を持てば責任が生まれる。自分をある程度犠牲にして働くのは当たり前だ」
いまの日本はみんながそうやって発展させてきたのだし、だからこそ戦後の焼け野原から、いまや世界有数の先進国なのだ。日本の技術力や創造性は世界に誇れるし、それを積み上げてきた先人たちに深く敬意を捧げる。
しかしその代償は大きかった。
多忙すぎるせいで、家庭にひずみができてしまったのか?
多忙すぎるせいで、子供に手がかけられなかったのか?
多忙すぎるせいでのストレスで家庭で上手く自分の役割を果たせず家族がバラバラになってしまったからなのか?
多忙すぎるせいで、この世界の仕組みやシステム、罠について気づくことができず、疑うこともなく、あらゆる利権の食い物にされている。(最期までそれにも気づけない)
ライフバランスが偏りすぎている。
私は高度経済成長を支えてきた高齢者の方々をお手伝いする介護士だ。
誤解を恐れずいえば、あまりに貧しい老後を送っている方々が多い。
家族から孤立して、うとまれて、虐待されて、虚無のなかで残りの人生をただ消化しながら、その時を待っているだけ。
その方達の時代にも減速して生きるという選択肢があったのならどうだったのだろう?
資本主義経済は消費しなくては成り立たない。
借金を負わせてでも次々に買わせる。それを良しとするシステムでなくてはならない。
長く使えるものはダメ。定期的に新しいものを買わせなくてはいけない。
使い捨てのものがベスト。
その使い捨てのものを作るために地球を壊し、汚れ、自然が悲鳴をあげようとも。
自分たちの子孫にその汚れを押しつけて、今を生きている。
消費しなくては経済が発展しないのだから仕方がないと叫びながら。
ローンを組ませるのがベスト。そして仕事に縛り付け、税金を払わせ、国の予算として吸収してから浪費して利権者に甘い汁がしたたる。
しかし東日本大震災と原発事故以来、そんな生き方や社会構造に疑問を呈する人が増えている。
それ以前から消費経済に疑問を感じながら、違う生き方を実践していた先輩たちをお手本に新しい生き方を模索する人たちが増えている。
これも新しい時代の潮流のひとつだ。
高坂さんは仕事を減速して自由に生きている。
家族との時間を多くとり、社会を良くするための活動に多くの時間を割く。
「ダウンシフター」として生きている。
そんな生き方を実践する人々を「ダウンシフターズ」と定義する。
それを無謀な生き方だと思うだろうか?
高坂さんは著書の中で述べている。
「現在日本には埼玉県全部に匹敵するほどの畑が放置されている」
「その畑全部を使ったと仮定すると2000万人超の人が自分で自分の食べる米を自給できる」
「家族3人が自給できるだけの米を作るために必要な面積は200坪超。必要な作業時間は年間約20日の労働時間」
残りの345日を使って貴方はどう、自分の人生を生きますか? と暗に問うている。
もうちょっと畑を増やして野菜も自給したらいいかもしれない。
私が試しに田舎暮らしに必要な生活費を試算してみたところ、8万円弱でした。
おおざっぱで少し甘い計算かもしれませんが、税金も計算にいれたし、食費も20000円ほどで計上しています。(目指すところは完全自給なのですが、いきなりは無理だと思うので)
さらに雑費として20000円も毎月計上しても8万円弱で家族暮らせる可能性があります。
「月3万円ビジネス」という本があります。田舎ならニッチな仕事で約2日間の労働で3万円稼げるという趣旨の本です。
これを3つ組み合わせると約1週間の労働で1カ月分の生活費が賄える可能性があるということです。(現実には貯金も必要だしもう少し稼ぐのでしょうが)
支出の少ない暮らしをすれば、少ない収入で豊かに暮らせる。
お金がなければ娯楽ができないじゃん? そんな人生つまんない
と思われるかもしれません。
たしかに、ある人によってはそうかもしれません。
でもある人によってはそうじゃないかもしれません。(お金がなければ人生、楽しめないと思わされている・洗脳されている可能性があるかもしれないということです)
眠くなってきたのでまとまらないままですが終わります・・・(--
最後にわたしが自給自足にこだわる理由を。
買うとその食材がどういう経路で作られたのか分らないからです。
産地偽装されているかもしれません。
肉は成長ホルモン剤や抗生物質、飼料の残留農薬などに汚染されているでしょう。
スーパーに並んでいる食材などはカラクリが多すぎて信用に値しません。
一例をあげれば「国産大豆使用」と書かれた納豆や豆腐。
国産大豆100%ではなくても50%以上使用していれば「国産」と表記できるカラクリがあります。
あらゆる食品の裏面にある原材料記載。
あれもあてにならないそうです。「最終の加工工場」で使用されたものについてのみ記載すればよい仕組みだからです。
たとえば煎餅を考えてみます。
醤油煎餅だとして、醤油はその加工工場で作られたものではないので、その醤油に含まれる添加物などは記載の義務がない。どんな有害な添加物が入っているかわからないということです(たとえば発がん性のカラメル色素や遺伝子組み換えの農薬汚染大豆など)
飽食の時代と言われますが、知れば知るほど疑問を抱かざるを得ません。
なんと貧しいものを食べさせられている時代なのだろうかと。
そんなものを愛する子供に食べさせなくてはいけないのかと。
無農薬の野菜と農薬を使用して栽培した野菜では放置したときに明らかが違いがあると言われます。
無農薬の野菜が萎びていくのに比べて、農薬使用の野菜は腐敗していきます。
理由までは調べていませんが、農薬の毒性に耐えきれず植物が崩壊していくからなのか?
もしくは農薬の使用によって本来植物に付着しているはずの有用微生物群が死滅しているために、その空いたスペースで腐敗菌などが爆発的に育つからなのか?
私達が日々食べているのはそういう野菜です。
全部かきかけですが寝ます(_ _ zzZZZ
11月13日 大多喜町へ移住候補地の下見。
ここを選んだ理由は100万円の家づくりの著者、小笠原さんが住んでいるためだ。
農的暮らしをしている大先輩が移住を決めたのだから理由があるのだろう。
千葉の外房のほうで海にも近いが海抜も高く30mはあるので津波の心配もない。
小笠原さんが自分で建てたという2階建てのお家もみることができた。
こんな豪邸を個人の手で建てることができるのだ。
なら私に平屋が建てれないわけがない
と自分に言い聞かせ発破をかける(笑
大多喜町役場にて町のことや、移住支援、職のことなどを聞いて日帰り。
分ったことは以下。
大多喜町で300坪単位の土地を坪単価、1万円ぐらいで手にいれることはできる。
しかし山間部の町並みで小学校圏内には意外と畑が少ないような。
貸家なら月1万円ぐらいからある。
あまり移住者に開放的な土地柄とは言えないが閉鎖的とまではいかない。
更地に水道を引きこむのに50万。合併浄化槽を設置するのに50万ほどは初期投資が必要。(いくつかの市町村にある合併浄化槽設置による補助はない)
とりあえず町の不動産屋に連絡をとり、いい土地があったら紹介してもらえるように手配した。
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